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第7官界彷徨

第7官界彷徨

古今和歌集/春の歌

 古今和歌集では、歌は部立てとなっており、春の歌、夏の歌などの部からなっています。ここでは巻の1、春の歌を紹介します。

春歌(上)
ふるとしに春たちける日よめる     在原元方
1、年の内に春はきにけりひととせをこそとやいはんことしとやいはん 

 作者の在原元方は、業平の孫(長男の長男)で、かなり有名な歌人でした。この歌集は、きちんとした序列、例えば恋は初恋から別れまで、季節もその移り変わりの順に並んでいます。しかしなぜ、藤原氏ではなく、政治の中枢から遠い在原元方の歌なのか?
 編者の紀貫之らの、政権の側ではない、文化人としての気概がここにあるような気がします。

 歌の内容は、旧暦のため、正月より先に立春が来てしまったことを歌っています。同じこの1年を去年と言おうか、今年と言おうか。と、春の喜びの中の嬉しい当惑。

春たちける日よめる        紀貫之
2、袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん
 紀貫之は、古今和歌集の編者のひとりですが、1100首の歌のうちの100首ほど自分の歌を入れています。

 夏のある日、袖を濡らした水が凍ってしまっているのを、立春を迎え、春を運んで来た今日の風がとかしていることだろう。


題しらず            よみ人しらず
3、春霞たてるやいづこみ吉野の吉野の山に雪はふりつつ

 古今和歌集では、題がないものは編者の一存で「題しらず」と書き、作者不明の場合は「よみ人しらず」と必ず書いています。

 春の霞がたっているのはどこであろうか。山深い吉野の山に雪は降っていて。作者は都にいて、吉野の山を想像している。想像力の世界で歌った、都人の観念的な歌であるけれど、奈良時代の人々が仙境としてあがめた吉野、その象徴としての雪を歌っています。

=2010年2月4日 後で入れました
今日は24節気の立春です。
 古今和歌集の第1番
ふるとしに春たちける日よめる   在原元方
*年のうちに春はきにけりひととせを去年とや言はん今年とや言はん

 について、正岡子規くんがこてんぱんにやっつけました。
 この歌が出来て以来、初めての批判です。こんなふうに。

「(古今集を開くと、この歌が出て来る)実にあきれかえった無趣味の歌にこれあり候。日本人と外国人との合の子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしゃれたると同じ事にて、しゃれにもならぬつまらぬ歌に候。」

 これによって明治以後は、古今集の歌は単なる言葉遊びに過ぎないとの評価が続きました。しかし、高橋和夫先生の「日本文学と気象」にはこんな説明がされています。

「(この歌は)正岡子規が、古今集のくだらぬ歌の代表例として以来、省みるものとてないが、この歌は、古今集の四季の部立では、番号をつけるならば、むしろ零番とでもすべき歌である。四季部構成の基本枠である、12ヶ月と24節気が矛盾しているので、その、立春から正月1日までの数日を、去年とするか今年とするか、という論理の枠組みをまず話題にした歌なのである。
 ここに、古今集歌人の季節についての判断とでもいったものがあるようだ。あおれは、まず正月が来てついで立春が来る。だから春とは、正月1日という形式の枠の中で予告がされ、ついで立春という実感の初発がある。しかるに閏月があるせいで、それが逆になる年もある。
(略) 
 この形式と実感の矛盾ということが、実は古今集の大きなテーマなのであり、こういう、先進国(中国)の知識体系を学びながら、日本の風土での季節の実感をどう整序づけるか、そうした文化史上の課題を、古今集の歌人たちは背負いながら、これを歌に詠むことによって、自分たちの思想形成の努力を後世に伝えようとしたのである。」

「二番目の歌は「春立ちける日よめる」   紀貫之
 とあるから、立春当日の歌である。立春とは何か。
*袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ

 この歌が、24節気をさらに3分した72候のうち、立春からはじまる「東風解凍」を詠んだものであるということは、すでに指摘されている。立春は風によって徴候を示す。だから氷を融かすはずなのである。」

(次に)
*春霞たてるやいづこみよしのの吉野の山に雪はふりつつ
 立春前後からやってくる高気圧は東シナ海を通ってくるので、暖かい高気圧で、このため地表音頭も上がり、霞が発生する。そして上空5千から1万メートルあたりにあったシベリアから南下した寒気団も北へ退いているから、この高気圧は冷却しないのである。こんな理屈は知らなくとも、古人は霞は晴天時の春型気圧配置の産物であることを直感的に知っていた。
 しかし、この天気も長続きしない、再び気圧配置は冬型になって、北方季節風が卓越する。そうするとこの季節風は日本海の水蒸気を多量に含んで日本列島に押し寄せ、雪を降らせる。
(略)
 吉野の雪はそうした雪なのである。何気なく読んでしまえばそれだけの歌。(略、しかし)この歌が作られた日、立春にはまだ春型気圧配置は現われず、今日も西高東低の気圧配置で吉野は冬景色なのである。
 古今集ではこうして一首一首の歌が、正確な気象知識によって作られているのである。」

☆という、今日は24節気の立春でありながら、旧暦12月21日なのでした。こぞとや言はん、今年とや言はん!
=2010年2月の分終わり

二条のきさきの春のはじめの御うた
4、雪のうちに春はきにけり鶯のこほれる涙いまやとくらん

 古今和歌集では、天皇や后の歌の場合は、作者名を書かず、詞書にその名を入れています。
二条のきさきは、在原業平の恋人で、後に清和天皇の后になった藤原高子(たかいこ)。50代の時に密通事件を起こして后の位を剥奪されたのに、勅撰和歌集である古今で「二条のきさき」となっているのはなぜかという疑問があります。
 二条のきさきは、古今の中で5例出て来ます。
 二条の后の頃に作った歌であるから、という考え方と、伊勢物語が広く共感を持って読み継がれ、そのヒロインである高子への同情的な心情から、貫之らが特別扱いした、との2つの考え方があります。

 歌は
 雪がまだあるうちに立春になってしまいました。そして私の凍りついた涙も今とけることでしょう。
 「鶯の凍れる涙」という斬新な、思い溢れる言葉を歌にした高子の人柄がしのばれます。


2008年3月
 今日は古今和歌集の日でした。
 まず始めに、仮名序の中の、和歌の歴史の部分
「いにしへよりかく伝わるうちにも、、、」
 という所から。文武天皇の時から広まって、柿本人麻呂は、歌の聖として活躍。龍田川、吉野の桜、などの歌を良く読んだ。
 また、山辺赤人という人もいて、その他優れた人たちの歌を集めて、万葉集ができた。

 というような事が書いてありますが、人麻呂の頃はまだ吉野の桜は有名ではなく、時代錯誤と人麻呂本人のことについてもミスが重なった文章のようです。
 正岡子規は「歌よみに与ふる書」の中で、古今集、紀貫之について、ひどくけなしていますが、貫之は大真面目に、風呂敷を広げ、この部分では「君臣相和す」ことが政治ゲームの理想であり、この古今和歌集はそれを旗印にして歌を集めたと、宣言しています。

 そして歌
9番
 雪のふりけるをよめる         きのつらゆき
*霞たちこのめも春の雪ふれば 花なきさとも花ぞちりける
 霞がたって木の芽も張ってきた春に雪が降ると、花のない里にも雪が花のように散っています。という、なんだかつまんない歌です。
 けれども、この歌は最も古今集的な歌であり、霞や春を言ってしまったので、幻想としてのまだ花の咲いていない所、に思いを及ばしているらしい。

 そして「花なき里」をもうひとつ
31番
 帰る雁をよめる           伊 勢
*春霞たつを見すててゆくかりは 花なき里に住みやならへる
 春のかすみが立ってこれから美しい花の季節になるのに、それを見ようともしないで行ってしまう雁は、花のない里に住み慣れているんでしょうか。

 この「花なき里」という言葉には中国文学以来の約束事があるそうです。それは、中華思想。
 中央に君臨している完璧な自分たちの国。その周辺には野蛮な人間たちが住んでいて、文化がわからない。
 「花なき里」とは中華思想のすなわち辺境、辺土蔑視の文化果てるところという意味があるのです。今のチベットなどは、中華の思想からみれば西の戎でしょうか。

 中国を中心に置いて、東夷、北○、西戎、南蛮、
 辺境という概念を中国からもらった日本は、都から見て東国を辺土としました。そこは「花なき里」文化の届かない場所とされました。

21番
仁和のみかど、親王におましましける時に、
人に若菜たまひける御うた
*きみがため春の野にいでてわかなつむ我が衣手に 雪はふりつつ

 この歌の作者光孝天皇は、長い間親王であり、また源氏として臣下に下っていた時期もあるそうです。陽成天皇のあとのピンチヒッターとして、改めて皇太子となり、即位。
 徒然草には、「長い親王の間、自炊していたために壁がすすで汚れていた」というエピソードも書かれているそうです。
 
 この若菜摘む歌について、江戸時代の国文学者の契沖は
「親王の時にも人に優しい、献身的な人であったので、皇子にふさわしい」と、その思いやりのある心こそ、まっとうな政治姿勢だと書いています。

 ここで、野原という、野と原の違いについて。
「野」は春日野に登る、草を摘む、ように人に近いところ。
「原」は、人間の存在より遠いテリトリー。焼き場があったりします。

 光孝天皇は誰に手づから若菜を摘んであげたのか、興味深いことです。
 けれど、仮名序もそうですが、きちんとした歴史検証や描写のリアリズムにほど遠い古今和歌集。正岡子規のほんとにひどい攻撃的文章に、いちいちうなずいてしまう私です。
 やっぱり万葉集の率直さが好きだなあ。


2008年10月
 今日は古今和歌集の日でした。すてきな歌を2つ教わりました。
84番
*久方のひかりのどけき春の日に しづ心なく花のちるらむ
                       きのとものり

 久方の、、、という枕詞は、万葉集の時からあって、しかも長い間消えずに使われてきたんだそうです。大体が、天、雲、月、雨などにかかり、久堅という字では「都」にかかる場合もあるとか。
 源氏物語にも出てきます。
*久方のひかりに近き名のみして 朝夕霧の晴れぬ山里
 松風の巻きで、源氏が明石の君を思って詠んだ歌だそうです。松風の松は「待つ」にかかり、身分の低さを卑下してあなたを待つとは言えない明石の君の心を代弁した題なんだとか。
 
 正岡子規も詠んでいます、久方
*久方のアメ(雨)リカ人の始めたる ベースボールは見れど飽かぬかも

 さて、私たちのテキストは、佐伯梅友先生の注釈つきですが、
 久方の光のどけき春の日に、のあとに「なぜ」ということばを補って読むと意味が分かる、と書かれています。ところが、私たちの先生がおっしゃるには、これは京大の学派の考えで、東大系の時枝誠記先生たちは、補う必要はない、という意見だそうです。

 うらうらとのどかな春の日に、散ってほしくないと思っている花が散っていく、人生の不条理の発見、忍びよる不安。
 そんなことを感じさせる秀歌ではありますが、きのとものりさんは、ほかにも
*五月雨に物思ひおれば 郭公 夜ふかく鳴きていづちゆくらむ
 という歌もあり、この「らむ」がくせもので、物事を歌い上げてみるのだけれども、「らむ」という現在の推量の助動詞を使って、歌ったことを深く追求しないタイプの作者なんだそうです。
 言いっぱなしの人なんでしょうか?

 次の歌は89番
*さくら花ちりぬる風のなごりには 水なきそらに浪ぞたちける
                       つらゆき
 先生が、大岡信さんの「四季の歌、恋の歌」から、この歌の解説を読んでくださいました。
「風が吹いて桜が散った。その花びらの散る姿から風の余波を見た。それは水のない空に浪が立っているようだ。」
「ふと風が、桜の花を散らしながら過ぎさって行った。散る花によって風の名残りの余波を感じることができる。あとには揺らめいている心の昂りだけが残されて」

 貫之は、名残りという二義性を持つ幻視的な歌が詠める人だったみたいですね。
「水なきそら」のそらは「虚」とも読めるのだそうです。
 日本の文化ってすごい素敵だなあと思った秋の夕暮れでございました! 

2008年11月18日
 今日はむかし昔の古今和歌集の日でした。今日の歌は「春の歌」より
*花の色はうつりにけりな いたづらに 我が身世にふるながめせしまに
 という、小野小町の歌です。

 歌には男歌と女歌のニュアンスが違うと考えてもいいと教えてくれた代表的な歌人は、この小野小町だそうです。
 彼女の歌は古今和歌集に17首あり、他に古今には墨消し歌といって、残さないものとして墨で消された歌があるが、そこにも小町の歌が1首あるそうです。
 また小町の歌集「小町集」には117首が載っているそうです。
 小町の歌は古今和歌集の17首を主として考えるとき、「我が身」「うつらふ」「夢」のことばが抽出できると、秋山虔先生は分析しているそうです。

 この歌は、難しいけれど素晴らしい歌。
 「花の色はうつりにけりな」
 ここでこの歌の言わんとしている事が完結してしまっている。上の句での完結は良くない歌とされるけれど、、、。
 作者の眼差しのもとに「花の色」がある。
 しかし、下の句で、それを見ている作者の姿が立ちあらわれる、ダブルイメージの妙。

 うつりにけりなは漢文ではできない日本的な表現で
 うつりぬ=完了している
 けり=き、あり、完了の継続
 な=助詞
 推移の感覚が1首の中を流れている。

 「いたづらに」は「空しく」の意味を持つ形容動詞
 自分ではこういうふうにしたいと思い、思いながらも実は思い通りにならないで時間が過ぎていく。人事的な経過であって、空しくは存在自体が無いが、いたづらには、存在がある。
 
「我が身世にふる」
 「我が身」は、万葉以来日本の詩歌、散文にひんぱんに使われている。我が身とは、他者の存在があって初めて存在する人間の真理。
 使い手の多くは女性であり、男性に対して使われている。
 源氏物語では「薫」という主人公が「我が身」を使うとき、そこには彼の持つ権力も財力も消えてしまい、愛する女性と対峙するはかない男の存在となっている、、、。
「世にふる」の「世」という字は三十という字からできている。竹取物語では、竹取の翁は
「よごとに金ある竹を、、」となっているがもの「よ」は「世」のことで、竹の一節を「よ」と言ったそうです。かつて天皇の身長を測る時には竹を折って測ったそうで、それを
「節折(よおり)の行事」と言ったそうな。世はひとまとまりの数を言うそうな。そこで
「我が身世にふる」は、我が身が我と我が身らしかった良い時代、、、

 読んでいる人たちは、どんどん作者に近づいて行く。これは「述懐」の歌のように読める。しかし、貫之たちはこれを述懐、「雑の歌」に入れずに「春の歌」にした。メインは「春」サブは「我が身」と読んだのでしょう。
 
「ながめせしまに」
 眺めるとは、物思いしながら見る。見ている何かが、映像を結ぼうとして結ばないこと。この姿はドビュッシーの曲に似合うのではないか。

 もう一つの小町の歌
*色みえでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける
 うつろふという言葉を、万葉集で一番使っているのは大伴家持。
 うつろふものの代表に「紅』がある。紅のイメージは都の雅。
 家持が越中の地方長官に赴任しているときに「紅」を詠む歌が多い。都を偲んでのことでありましょう。

☆今日は我が小野小町の歌を細かく分析していただいて、嬉しかったです。小野町子

2008年12月16日
 昨日の古今和歌集の歌は夏の歌
*わがやどの池の藤なみさきにけり 山ほととぎすいつかきなかむ
            読人しらず
 ほととぎすは山で育ち、夏になると里に下りてくるので、この季節はまだ早い夏。古今集は、春の歌の終わりに夏の藤の花を持って来て、季節のうつろいを表している。
 歌の意味は、まだ春だと思っていたのに、もう晩春になって藤が咲いた。ういういしい若いほととぎすが、いつ来て鳴くだろうか。その日が待たれるものだ。

 小松秀夫さんという人は、古今と万葉を並べてはいけないというけれど、
 万葉集巻20-4335の歌に
*今替はる新防人が船出する海原の上に奈美那佐伎曽祢
 という歌があり、
新(にい)防人、というのは、防人は何年かで交替するので、新しく任務についた防人
大伴家持は、防人たちの管理の仕事についていて、防人たちの歌の添削をしていた。

 この歌の なみなさきそね で、「波が咲く」という言い方が万葉以来の言い方であることが分かります。

 ほととぎすについては万葉集巻10-1940に
*朝霞たなびく野辺にあしひきの山ほととぎすいつか来鳴かむ
 また巻19-4210に
*藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山ほととぎすなどか来鳴かぬ
 などの例があります。

 次に古今和歌集の歌
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
 橘は夏、6月頃に白い花をつけ、秋に実がなるが食用にはならない。万葉集には70首ほど歌われているが、なぜ万葉人に好まれたのだろうか。
 家持は、越中高岡の地方長官をしていた時、都のイメージとして橘の歌を作りました。そこには、敬愛する橘諸兄への思いも重なっています。 

 家持の橘の歌1首(長歌)、プラス反歌は、橘にまつわる歴史と橘家の繁栄を願う内容です。
 内容は、昔、垂仁天皇の時代に田道間守(たじまもり)は命を受けて「ときじくのかくのこのみ」を取りに常世の国へ行き、9年後に持ち帰った時には天皇はすでに死んでいたという伝承のある、そのかくのこのみ(橘)は、国も狭くなるほど生い茂っております。
 
 反歌
*橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し
(橘は花でも実でもみたけれど、ますますいつでも、なおも見たいものだ

 先生が言われるには、唐招提寺の近くに垂仁天皇の陵があり、その堀の中に小島があるが、それが橘を持ち帰った田道間守の墓と言われているそうです。
 傍へ行くとそういう看板が出ているそうです。
 
 家持の時代、橘は果実の最高のものとされ、枝は髪飾りに、花は薬玉にして寝殿に下げたりしたそうです。

 万葉集巻17-3916に
*橘のにほへる香かもほととぎす鳴く夜の雨にうつろひぬらむ
 という家持の歌があり
 「にほふ」とは赤いものがはっきりととらえられる視覚的なもの
 時代が移って「夜」「雨」と視覚に訴えられない場面で、「嗅覚=香り」が「にほふ」と変化してきた。
 「夜雨」(やう)は漢詩に出て来る言葉であるが、先生は柳田聖山という京大の漢学者の文章に
「夜雨は2人で聴くものだ」という1文をみつけ、いたく感動したそうです。
「特に説明はない。そういうものに時にこだわり、いつかな出会うであろうと思いつつ生きるのもまた人生の醍醐味であろう」とのことです。
 また、もうひとつの「夜雨」は、一炉庵という菓子舗の最中に「夜雨」というものがあっておいしいが、「何故そういう名前をつけたのかというような野暮なことを聞く気持ちはない」
 とのことでした。
 2人で聴く「夜雨」よりも、最中の「夜雨」に、いたくこころ惹かれた私でありました。
 





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